技術教育研究会第42回全国大会にあたって
現地実行委員会委員長 横山悦生
岐阜県や愛知県の地に技術教育研究会の会員が登場したのは、1960年代に終り頃であった。岐阜県で最初に会員になった高橋伊佐夫さんの詳細な記録によると、現場教師による技術教育分野の最初のサークル「岐阜総合技術教育研究会」が1968年2月に発足している(『技術と教育』第294号)。このときに「総合技術教育」という名称がつかわれているが、それは当時「技術教育は何を何のためにどのように教えればよいか」を学習する目的で、ソビエトの技術教育関係の書籍(ロシア語文献)などを手がかりにソビエトの総合技術教育などを1963年頃から学習していたことが背景にあった(高橋伊佐夫氏談)。この岐阜のサークルでは、日本高等学校教職員組合が作成した資料『資料・総合技術教育』(協力 矢川徳光、1969年11月発行)もテキストとして学習をおこなったようである。この「岐阜総合技術教育研究会」の取り組みについては、高橋伊佐夫さんが詳しく記録しているので、(「岐阜サークルの歩みとこれから」『技術と教育』第294号)それを参照されたい。愛知県では、1960年代の終りごろ、つまり技術教育研究会が全国的な組織になり始めた時期から日教組の教育研究集会(技術職業教育分科会)などを通して工業高校の教師を中心に会員が少しずつ増えていったようである。愛知技教研の創立は1973年で、1970年代から1980年代にかけて活発な活動を展開した。1976年には犬山において第9回全国大会を開催し、1979年には、ヨーロッパの技術史を直接学ぶためにヨーロッパの科学技術博物館等を訪問・見学している。この時期には、名古屋大学教育学部の技術教育学講座の大学院生が例会に参加し、現場教師との研究交流を深めた。当時の名古屋大学の大学院生がその後全国に展開し、各地域で技術教育研究会を牽引していることはよく知られている。1980年頃から愛知技教研は身近な地域の技術史に目を向け、それに関する独自の組織である愛知産業遺跡・遺物調査保存研究会を立ち上げ、毎年「技術史を見る眼」と称するシンポジウムに取り組んできた(現在でも中部産業遺産研究会の取り組みとして継承されている)。現在、愛知技教研のメンバーは、ほとんどが定年を迎え、現職の工業高校教師は少ない。その多くの退職者となったメンバーは中部産業遺産研究会の活動に精力的に取り組んでいる。かつて愛知技教研は全国に数ある技教研のサークルの中でももっとも精力的に活動したものの一つであったように思われる。今回の犬山での技教研大会を通して、「岐阜総合技術教育研究会」や愛知技教研のサークルの伝統を若い世代に引き渡し、さらなる発展を築いていくための一歩となることを願ってやまない。
5月に技教研会員の一人であった山本喜志夫会員が逝去されました(享年68歳)。合掌。